【モテサクの強みは”どもる”こと】
大学以降の僕しか知らない人には信じられないかもしれません.
かつて僕は話そうとすると,”どもって”何も言えない,
という日常があり,話す事自体がキライでした.
「英国王のスピーチ(字幕版) 」
でもいつしか,あまりどもらずに話せるようになりました.
最近は,学会発表や講演会などで
たくさん話す機会が増え,
「話が上手い」などと言ってくれる人も増えました.
自分がどうしてそんなに変わったのか,
自分ではよくわからなくて,
そのことを知りたくてこの映画を観ました.
この映画は,
全国民に向けたスピーチを職務とする国王が,
”どもってしまう”吃音に悩み,向き合い,
最後は,”吃音を自分のものにする”,
実話を描いたものです.
最初の問題は,吃音そのものではなく,
”どもること”を自分の短所であり,
恐れや不信の象徴として捉えている自分の視点にあります.
流暢に喋る身体的な練習ではなく,
”どもること”による間が生み出す独特のリズムを長所にして,
勇気と信頼の象徴に変えていくことができる,
そんなことが描かれているように思いました.
そっか,それは,僕の強みだと,
なんとなくわかっていったんだな.
大学に入って,友人が新しくなり,
点数を取る,という目標とは別の目的を探すようになり,
学生寮でのそれまで経験したことのないルールに戸惑い,
”他人に何が望まれてるのか?”
から,
”自分が本当はどうしたいのか?”
に焦点が移っていったとき,
知らぬ間に話せるようになっていきました.
急に話し方が上手くなったわけじゃなく,
話が下手なことを気にするより,
伝えたい内容に意識が向き始めたときから,
相手の話も理解できるようになり,
信頼できるように変わっていった気がします.
僕は今でも自分が”どもって”話していることを知っています.
でも,今の僕は,”どもったこと”を失敗だと捉えていません.
相手が気付いてないなら気にしない,
ということもありますが,
もし気付いていたとしても,
僕自身が”どもって生じる間”を
”自分の話し方の強み”だと捉えているからです.
これは負け惜しみ,でもなければ,開き直り,でもありません.
僕は,どもって生じる間を,
話す相手を友人のように信頼していることのシンボルとして,
視点を変えてみることで,
”失敗”ではなく”強み”と捉えられるようになりました.
そういうかつての自分から今の自分への変化が,
国王のストーリーから浮かび上がって見えたような気がしました.
最後の国王のスピーチを聞いて,
これを真似したい,とは思いませんでした.
そういうスピーチじゃないと思います.
感動は,勿論したんですけど,
いつもの感動のナミダとちょっと違う感じでした.
我ながら変だな,と思いながら,
僕はラストシーンに拍手をしていました.
こういう風に向き合えたら,
本当に素敵だと思ったからです.
僕の強みは”どもること”です.
どもってでも伝えたいことがある,
ということです.
だから僕は話すことが大好きです.
「英国王のスピーチ(字幕版) 」
あらすじ:
吃音で悩む国王が、セラピストや妻に支えられ、
本当の国王になるまでの真実の物語。
ジョージ6世は、王になどなりたくなかった。
彼には吃音という悩みがあった。
数々のスピーチの公務に、どう対処すればいいのか?
心配した妻のエリザベスは、スピーチ矯正の専門家、
ライオネルの診療所に自ら足を運ぶ・・・